記憶の扉

父が残した昭和の記憶

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空町の子供達 1956年1月

空町、いい名称だと思いますが、正式な町名ではなく高山市内の城山の北側城下町の高台を通称空町と云うそうです。
江名子川の左右に建つ家並みや路地は、子供の頃に毎日のように遊んでいた記憶が蘇る、今でも昔の面影が残る一画で、高山市内でも私の好きな地域です。
夏休みのある日、友達と城山の中で夢中でかくれんぼをしていて、一人はぐれて不安になった時に、山道の林を抜けた先に見えたのが、抜ける様な青空と小さな池に浮かぶお堂(大隆寺弁天堂)で、この時間が止まったような風景が、今でも何故か強く記憶に焼きついています。

空町の子供達


空町の子供達2

えび坂で橇遊びえび坂で橇遊び
手作りの橇で、服がずぶ濡れになるまで夢中で遊んだ事を思い出します。


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  1. 2010/01/01(金) 13:41:30|
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写真家 濱谷 浩 1956年1月

濱谷 浩さんは、海外でも高く評価されている日本を代表する写真家で、父とはどの様な経緯でつながりがあったのかは定かではありませんが、整理中のネガフィルムには、父とは生涯親交の深かかった、飛騨高山の風土を撮り続けた写真家の田中一郎さんらと濱谷さんを囲んで、高山の老舗料亭角正で歓談している写真もありました。

濱谷さんを囲んで
濱谷さんを囲んで

晩年の濱谷さんには、父が生涯に一度しか出来なかった個展に来て頂いた時にお会いしたことがありますが、穏和な表情の中にも、鋭さと優しさを併せ持つ眼差しが強く印象に残っています。


濱谷 浩さん
雪の中じっと被写体を見つめる 濱谷 浩さん

冬の高山を訪れて、街の風土を撮影されている時の写真です。
濱谷 浩さんは、当時四年の歳月を掛けて日本海側の各地の風土を撮影していました。
その後 出版された写真集「裏日本」は当時急激に発展する中での日本の地域格差 日本の多重構造を記録した啓発的な写真集で、
本の巻頭の言葉として「人間が 人間を 理解するために 日本人が 日本人を 理解するために」と添えています。
50年以上たった現在でも違う形として依然として、日本は格差社会や地域格差が深刻になっている事を思うに、寂寥感に駆られます。

濱谷浩写真集 裏日本 新潮社 1957年発行 絶版


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  1. 2010/01/03(日) 16:25:48|
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人形を抱く女の子1956年1月

私の記憶ではぶらぶら人形と云っていた気がしますが、当時女の子がいつも肌身離さず持っていた人形は、名称の訳は分かりませんが文化人形と云うそうです。
大正から昭和30 年代まで流通していましたが、一つ一つ手作りだそうで手間が掛かりその後作られなくなりました。
現在では当時を懐かしむ世代の人達で静かな人気があるそうです。

高山市江名子
高山市江名子

私が幼稚園に通う頃、近所の家に遊びに行って、その家の女の子が今まで大事そうに抱いていた人形を、何故か突然に手足を持って捥げそうになるまで振り回して遊んでいるのを見て、怖かった事を思い出しました。
人形を抱く女の子
あかぎれの小さな手に、しっかり人形を抱く女の子の真っ直ぐな視線がいたい。


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  1. 2010/01/07(木) 12:30:50|
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原山市民スキー場 1956年1月

大正9年に開業され90年間市民スキー場として親しまれていましたが、現在は廃業されてるようです。
小学生の頃、スキー板にゴム長靴をスプリング金具で留める、長靴スキーで何度か滑りに行きました。
原山まで車やバスに乗った記憶がないので、市内からスキーを付けて行ったのでしょうか、元気だったのですね。

長靴スキー
長靴スキー 高山市内

雪が長靴の中に入り、濡れて冷たくなった足先でも夕方まで夢中で遊んでいた事を思い出します。


原山市民スキー場
原山市民スキー場

私の子供の頃にはロープリフトはあった記憶がありますが、当時はリフトが見あたりません。


中学校の課外授業
原山市民スキー場での中学校の課外授業

雪の多かった高山でも、一般にはスキーの出来ない方が多くいらしたので、学校で教えていたのでしょうか。


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  1. 2010/01/12(火) 02:44:36|
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冬の宮川 1956年2月

当時は高山市内の除雪された雪は宮川に捨てられていました。 トラックに満載された雪を川に落とす度に、大きな水しぶきが立つのを見て、子供達で歓声を上げてたことを思い出します。

宮川 鍛冶橋付近
宮川 鍛冶橋付近

背景の家並みなどは現在と随分と変わっているのが分かります。


鍛冶橋付近

写真の様に雪で埋まった川の斜面で遊んだ事もありましたが、今思うと危険な事をしていたと思います。


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  1. 2010/01/13(水) 01:50:30|
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人力 1956年2月

車が一般的ではない時代には、写真のように荷物を運ぶ時には家畜の力を借りるか人力しかありませんでした。
特に雪の日などは大変だったと思います。
最近都内などで、駐車違反対策の為クロネコヤマトのリヤカー運送などを見かけますが、近い将来エネルギー資源が枯渇し代替エネルギーを使う車の開発が遅れれば、この時代の様に人力で運べる物は、人力で運ぶ時代が来るかもしれませんね。

人力
薪を運ぶ夫婦。斜面の途中で牛が立ち止まってしまい大変そうです。

当時町中でも馬や牛などで荷物を運ぶ光景が見られ、よく馬糞などが落ちていました。
そう言えば「馬糞を踏むと背か高くなる」や「馬糞を踏むと足が速くなる」などの迷信や「馬の小便水薬 白墨けずって粉薬 鼻糞まるめて万金丹」などのはやし歌があった事を思い出しました。

リヤカーを引く親子
リヤカーを引く親子

当時玄関先にリヤカーを立てかけて置いてある家もよく見かけました。


現在も荒川区でリヤカーを製作してる 株式会社ムラマツ車両(ヤマト運輸のリヤカー車両も手掛けた会社です。)
株式会社 ムラマツ車両


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  1. 2010/01/13(水) 17:53:24|
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おじいさん 1956年2月

何が嬉しかったのでしょう、笑顔が素晴らしいおじいさんですね。 何故か此方まで楽しくなりそうな笑顔です。
今でもそうかもしれませんが、仕事も現役で生き甲斐がある生活をしているからでしょうか、田舎の老人は元気で表情も豊かで、こちらまで元気にさせてくれます。

笑顔のおじいさん 1

子供の頃には、今に比べ老人は身近な存在で、様々な形で生活に貢献していましたので、下の世代の人々も素直に老人を敬う事が出来たのでないでしょうか。

笑顔のおじいさん2

笑い皺はその人の幸せの証かもしれませんね。


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  1. 2010/01/16(土) 03:30:55|
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面構え.1956年2月

最近見かけない風貌の親子です。 男は苦労を重ねていい顔になると云われますが、意志の強そうな親父さんの表情とガキ大将の様な風貌の息子、良い面構えの親子です。
義侠心などと云う言葉も知らない私が子供の頃、近所の遊び仲間にもその様な親分肌の子供がいて、強くて威張っていましたが、子供社会には大人社会とは違う真摯な秩序が存在していて、今で云ういじめなどを嫌い、何かあると助けられた記憶があります。

良い面構えの親子


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  1. 2010/01/17(日) 01:52:14|
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大衆食堂 1956年2月

鉄道交通が中心の時代、駅を中心に繁盛していった駅前大衆食堂は、車社会の発達や食文化の変化と共に少しずつ寂れていきました。
現在ではどこの駅前でも同じようなファーストフードのチェーン店が並び寂しい限りです。
私は子供の頃に高山を離れてしまったので、駅前の印象は薄いのですが、成人してから訪れた時に、駅前の焼きそばで有名な食堂ちとせに入りましたが、店内の佇まいや焼きそばの味など、昔の雰囲気が残り懐かしかったです。

汽車を待つ人達
だるまストーブで暖をとりながら汽車を待つ人達

団欒する人達
囲炉裏の周りで団欒する人達


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  1. 2010/01/18(月) 01:29:11|
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冬の小学校 1956年3月

冬の小学校で思い出すのは、石炭ストーブです。
当番になると早めに登校して、石炭置き場からを石炭をバケツで運んで教室のストーブを焚いた記憶があります。
皆が登校する頃に教室が暖まっていればいいのですが、旨く焚けない時などもあり責任重大な作業でした。
首尾良く焚けたときなどは嬉しかった事を思い出します。

校庭の雪かき
校庭の雪かき 高山西小学校

理科は好きな科目でした。 あの頃良く読んでいた少年漫画や手塚治虫さんの影響か、空想科学少年で、家の近くに実験器具を売っている店があったので、小遣いを貯めてアルコールランプや試験管、ビーカー、フラスコなどのガラス器具などを買って、科学者気取りで友達と何やら実験らしき事をしていた想い出があります。

理科の授業
理科の授業 高山西小学校


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  1. 2010/01/20(水) 01:33:00|
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初誕生日.1956年3月

記憶にはありませんが、私の初誕生日、祝いの赤飯や鯛の尾頭付きを、母に食べさてもらっています。

初誕生日


山に囲まれている高山では、当時今ほど流通や冷凍技術が整っていませんので、新鮮な海魚は食卓に上がるのはまれで、特別な祝いの席のごちそうでした。魚屋さんにも生魚は少なく、干物やみりん干しなどの加工海産物が中心に並んでいた記憶があります。

セルロイド人形で遊ぶ
セルロイド人形で遊ぶ

後に聞いた話では、一歳になる前から捕まり立ちで歩き回り、目が離せないので母が困った様です。


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  1. 2010/01/23(土) 17:55:34|
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卒業式.1956年3月

戦時下の昭和18年に生まれた子供達の小学校卒業式です。 おそらく兄の卒業式を記録したものでしょう。
父兄の方や先生の前で生徒代表の男子が挨拶をしています。 私自身この講堂では卒業式は出来ませんでしたが、講堂が懐かしい。

昭和31年度卒業式
講堂での卒業式

在校生に見送られる卒業生
在校生に見送られる卒業生 高山西小学校

当時男子は坊主頭、女子はおかっぱ頭が主流でした。 男子は登校中詰め襟を着用していましたので、放課後学校帰りに遊んでいると、どこの学生か直ぐ分かり周りの大人達に「早く帰りなさい」とか「宿題を済ませてから遊べ」などと声を掛けられるので、早く遊びたくて急いで着替えに帰宅していた記憶があります。
今に比べ大人の人達は、子供達に自然に声を掛けたり叱ったりしていました。


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  1. 2010/01/25(月) 15:17:29|
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雨合羽の少女.1956年3月

みぞれが降る中で、大きめの無骨な雨合羽を着こなしている端正な顔立ちの少女、カメラを見返す視線でしょうか、何故か印象に残る写真です。

雨合羽の少女


雪の多い地方では、春が近いこの時期には雪混じりのぬかるんだ道や日陰に残るくすんだ雪で景色は余り綺麗ではありませんが、軒先の溶けかかった氷柱の水滴がキラキラ光って落ちる様や、屋根の雪が太陽に照らされて、どっさり落ちる音など、春を感じさせる様子が、此から暖かくなる期待感もあって子供の頃には好きでした。

雨合羽の少女2


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  1. 2010/01/27(水) 12:42:53|
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渋草焼1956年4月

高山には時代的に古い順で小糸焼、山田焼、渋草焼という江戸時代から続く伝統的な焼物窯があります。
写真は50年以上前の渋草焼窯元の製作工程を写したものですが、渋草焼には芳国舎(磁器)と柳造窯(陶磁器)の二つの工房があり、どちらの窯かは記載がありませんが、背景などからおそらく芳国舎だと思います。
作業工程は現在でもあまり変わらないでしょうが、昭和31年当時の様子が窺えます。
我が家でも、渋めの土色地に赤絵唐草装飾の徳利と御猪口を使っていました。

成形
成形工程


絵付け
絵付け工程

窯入準備
窯入れ作業準備


窯出し
窯出し作業


渋草焼 芳国舎 Home page
渋草焼 芳国舎



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  1. 2010/01/31(日) 13:56:55|
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それは現在を一時忘れることが出来る暖かな一時でもあります。

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