記憶の扉

父が残した昭和の記憶

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移設開店 本日より記憶の扉がこちらに引っ越しました!!

                     移設開店
    本日より記憶の扉がこちらに引っ越しました!!

            お手数をおかけしまして申し上げございません


このたび写真の見やすさやメンテナンスなどの理由からアサブロさんから、こちらへ引越しをすることにしました。
記事などは全て移行しましたので違和感無くご覧いただけるものと思います。
記事や写真なども少しずつですが増やしていますので宜しくお願い申し上げます。
お手数ですがブックマークなどをこちらに変更して頂けると幸いです

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  1. 2010/02/01(月) 00:03:13|
  2. 1956年
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菅原 廉緒 年譜

父 ポートレート


菅原 廉緒 (旧姓:菅原 幸男) 年譜

大正 5年 1916 東京・浅草にて出生
昭和 7年 1932 写真館入門
昭和11年 1936 東京・新橋「江木写真館」入店
昭和18年 1943 江木写真館 解散
昭和19年 1944 応召
昭和20年 1945 除隊
昭和21年 1946 横須賀市「オリエンタル写真館」
昭和22年 1947 岐阜県高山市にて写真館開業
(営業写真のかたわら、カメラ雑誌の月例などに投稿。風物、人物などのスナップショットを中心に撮りつづける。
当時の写真を通じ、土門拳氏をはじめ、在京の写真作家の方々の知遇を得る)
昭和31年 1956 カメラ雑誌月例ベストテン1位を獲得       
昭和33年 1958 日本写真家協会会員となる
昭和35年 1960 日本写真文化協会に入会
昭和38年 1963 東京・ホテルニューオータニ写真室主任となる
(ホテルオープンにともない、秋山庄太郎氏の推薦で上京、スタジオ主任となる)
昭和42年 1967 富士営業写真コンテスト 金賞獲得
昭和46年 1971 秋山写真工房「ホテルパシフィック写真室」取締役として在籍
昭和47年 1972 二科会写真部 会員推挙
昭和60年 1985 フジフォトサロンにて個展「私の仕事」開催
同年ホテルニューオータニ写真室現役引退
昭和61年 1986 東京・赤坂に写真事務所開設するも発病、入退院の繰返しを余儀なくされる
昭和62年 1987 ガンのため自宅にて死去 享年71歳

所属・役職 日本写真文化協会審査員
      日本写真家協会会員
      二科会写真部会員
      日本写真学園主任教授
      日本写真芸術専門学校主任講師


土門拳さんと
土門 拳 氏と

 
月例 雑誌切り抜き1月例 雑誌切り抜き2
当時の写真雑誌の切り抜き



写真集表紙
菅原 廉緒 写真集 表紙(イサムノグチ 氏)1989出版

  1. 2010/02/02(火) 08:00:00|
  2. 菅原 廉緒 年譜
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路地の春1956年4月

路地の昼下がりの情景です。
私だけかもしれませんが同じ世代の人には、子供の頃の記憶を呼び覚ます様な写真ではないでしょうか。
春になり日差しが暖かくなってきて、子供達も少し浮かれて遊び回る様子が覗えて、懐かしさが蘇ります。


路地1
空町

 
路地2
空町


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  1. 2010/02/03(水) 18:07:54|
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春の空町1956年4月

桜の名所にもなっている江名子川沿いは民家が多く、生活に密着した小さな橋が多く架かっています。
現在の高山市でも昔の面影が残っている一画で、郷愁を感じさせます。

春の空町1
橋の上で顔が似ているので兄弟らしき2人の子供や小学生の子供が急いで帰る様子など、春の昼下がり 時の止まった様な情景です。


春
親子は何を見ているのでしょうか、何故か惹かれる一枚の絵の様な構図で撮られた写真です。


春の空町2
当時は川沿いに洗濯物などが干されていた事を想い出しました。
川沿いの防護柵などはありませんでしたので、落ちて怪我をする人もいたのではないでしょうか。


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  1. 2010/02/05(金) 13:09:34|
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からくり奉納を見る人々1956年4月

日本三大曳山祭に数えられる、高山 春の山王祭で、からくり奉納を観ている群衆の写真です。
子供の頃、からくり人形の不思議な動きが面白くて、夢中でみていた記憶があります。
今では全国から祭を観に観光客が訪れて大変な賑わいを見せていますが、当時の写真には観光客の人達はあまり写っていません。
地元の子供達やお年寄りなどが熱心に観ている様子が面白いですね。

山王祭2

私も小学生の頃、祭の前には夜遅くまで町内会の大人の人達や子供達と横笛などを練習して祭の準備をしていました。
祭当日には、祭衣装を着て屋台に乗って参加させてもらったり、夜店で白馬童子や月光仮面などのセルロイド製のお面を買ってもらって輪投げやヨーヨー釣り、スマートボールなどのゲームをわくわくしながらしていた事を想い出します。

山王祭1


昨年都内の小さなお祭りに参加させていただきましたが、人間関係が希薄になっている現在には、地元に住むお年寄りから子供まで参加できる祭は、大切にしていかなければ行けない行事ではないかと思いました。


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  1. 2010/02/06(土) 09:00:00|
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長良川堤の花見1956年4月

春の訪れを知らせる花見は、何故か気分を高揚させます。
当時の岐阜市 長良川堤で花見をしている人達の写真です。

苦笑いの子供達
愉快に踊る大人を見て、周りの子供達の苦笑している様子が楽しい一枚


長良川堤 花見2
豆手拭いを首に巻いたところが昭和っぽいですが、今も花見では見かける風景です。


長良川堤 花見3
当時は人が集まる所には、玩具や駄菓子を売る露店や輪投げなどの遊技露店もよく見かけました。
景品のキャラメル一箱獲るのに、もらった小遣いを使ってしまう様な、馬鹿な事をした憶えがあります。


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  1. 2010/02/08(月) 12:00:00|
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ひよこ売り1956年4月

子供の頃ひよこ売りの露店をよく見かけました。
露店の親父の云う「大きくならないで可愛いままだよ」の言葉の意味を理解しないまま、ぴょぴょと鳴くひよこが可愛くてつい買ってしまい、寒くならないように電球を付けた段ボール箱に入れたりして、子供なりに一生懸命に育てるのですが、数日で死なせてしまった苦い経験があります。
初めての強く印象に残る死の経験でしょうか、手のひらの上で冷たくなって、瞬膜を閉じてうずくまっているひよこの姿は今でも鮮明に記憶に残っています。


ひよこ売り
岐阜市 柳ヶ瀬

ひよこ売りの露店で欲しそうに見つめる少女、買って帰っても親に叱られそうで思案している様子が窺えます。 


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  1. 2010/02/10(水) 09:00:00|
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羊の毛刈り1956年4月

私は当時高山で山羊は見た記憶はありますが、羊の姿を見たことはありませんでした。
日本で羊毛目的として羊が飼育され始められたのは明治以降で、昭和30年代始めには全国で約100万頭飼われていたいたそうです。
その後の高度経済成長とともに羊毛は課税自由化され、海外の安い羊毛に押されて需要がなくなり、羊は食肉にされたりして10年あまりで1万頭まで減少した悲しい歴史があるそうです。


羊の毛を刈る2
毛を刈られる前の羊を連れてきた少年
そういえば数年前のニュースで、毛刈りが嫌で6年間逃げていた羊の羊毛が、数億円で売れた話を思い出しました。


羊の毛を刈る人
横倒しにされ羊毛をバリカンで刈り獲られる羊、観念した表情で悲しそうな目をしています。


羊の毛を刈る1
ブランコで遊ぶ子供達と毛を刈り取られた羊

正面の柱にもたれて羊を見ている男の子が印象に残ります。


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  1. 2010/02/12(金) 09:00:00|
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ラビット・スクーター 1956年4月

今では懐かしいラビット・スクーターやホンダ・ドリームなどの自動二輪車が展示されています。
父はこの展示会でラビット・スクーターを見て欲しくなったのでしょうか、我が家で初めての乗り物はラビット・スクーターS61型でした。
昭和22年から21年間、富士産業(現 富士重工業株式会社)で生産されたラビット・スクーターは、当時乗用車にはまだ手が届かないの人々や先進的なデザインの乗り物を支持する人々に人気を呼びましたが、その後の急激な高度成長経済とともに人々の関心が自家用車に取って代わり、昭和43年に静かに消えていきました。
今でもこのスクーターにカメラ道具を積んで、颯爽と走って仕事に出かけていた父を思い出します。

バイク展示会


ラビットS61
我が家に納車されたラビット・スクーター 店の前で姉と次男と私で記念撮影。


ラビットスクーターの資料や情報がご覧になりたい方は
ラビットハウスHome page


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  1. 2010/02/14(日) 08:00:00|
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田植えの準備 1956年5月

「年をとったら田舎に暮らして農業でもやりたいね」などと甘い考えの人達がいますが、農機具などで便利になった現在でも、食物を作るには根気と体力のいる仕事で、若い内ならともかく、都会で長く育った人間には大変な努力と体力がなければとてもやっていけません。せいぜい家庭菜園を作るのが関の山です。
現在の食料危機や自給率問題などの様々な要因で、農業以外の気苦労をなされている農家の人達も同じですが、日本の経済成長の基本を支えた当時農業をされていた人達の苦労を思うと、素直に頭を下げて感謝するしかありません。


田植えの準備
トラクターなどの農業機械が一般的ではない当時、馬や牛などが農作業に活躍していました。


田植えの準備
農耕馬を使っての代かき作業、今では姿を消した農作業の風景です。


子馬
繋がれた子馬が一心に見つめる先には何があるのでしょうか?

此からの時代、世界的食料危機がますます深刻化していく現状を見ると、人間が生きる上で一番大切な食糧問題を、日本でも大きく変える時が迫っているのかもしれません。
世界で食物確保の紛争が拡大しないことを祈るばかりです。


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  1. 2010/02/16(火) 08:00:00|
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News

アサヒカメラ.net フォーラム 写真の殿堂の中で「記憶の扉」が紹介されました。2010.02.16

父のネガフィルムを整理保存する糧として始めたblogでした。
当初モノクロの古い写真なんか見てもらえるかなと思いましたが、思わぬ所から、
父の写真への評価を頂き、blogを初めて良かったと思っております。
今後も少しずつですが、更新させて頂きますので宜しくお願い申し上げます。
アサヒカメラ.net 審査員の大山 高 先生 編集部の皆様に感謝致します。
ありがとうございました。

リンク
アサヒカメラ.net 写真の殿堂

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  1. 2010/02/16(火) 18:20:25|
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仲良し 1956年5月

昭和30年代始め、今では聞かなくなった言葉 田舎っペの子供達がまだまだいました。
物がなくても心豊かに生きていた時代 近所の子供達と様々な遊びを考え、周りの環境すべてが遊び場で遊び道具でした。
私がイメージする田舎の子供達は、この時代を過ぎて徐々に姿を消し、少し小綺麗になって町の子供達と変わらなくなり、当時を題材にした本や映画などでしか出会う事ができなくなりました。

仲良し
私の好きな絵本作家 菊池日出夫さんの絵本に登場する子供達の様で、こちらまで楽しくなりそうな写真です。


仲良し3
興味津々のカメラ目線の女の子


仲良し2
腕を組んで、「何処まで付いてくるんだ」と云わんばかりの女の子の表情が面白い。


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長野県南佐久郡出身の菊池日出夫さんの絵本は、昭和の農村で暮らす子供達を生き生きとユーモラスに描いていておすすめです。
菊池日出夫さんの絵本
「さんねんごい」「かぶともり」「ほたるさわ」「いねかりやすみ」「はるまつり」「ゆきがっせん」
                             以上 のらっこ絵本シリーズ 福音館書店 

さんねんごい (こどものとも傑作集―のらっこの絵本)さんねんごい (こどものとも傑作集―のらっこの絵本)
(1991/01)
菊池 日出夫

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  1. 2010/02/17(水) 18:35:13|
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総社例祭の支度 1956年5月

高山市飛騨総社で毎年5月4日5日に行われる例祭の支度をしている子供達です。
煌びやかな衣装を着せてもらって御神幸に参加するのでしょうか。
当時飛騨総社の周りには田んぼや空き地が残っていて、遊びまわっていた記憶は残っていますが、総社例祭での想い出は曖昧で、五月晴れの青空を背景に、裃を着た人達の行列と激しい動きの獅子舞を、道ばたに座って下から見上げていた心像だけが残っています。


飛騨総社例祭1
出番待ちの子供達の真ん中で、思案顔の母親が印象に残ります。


飛騨総社例祭2
白粉を塗ってもらって神妙な顔の女の子


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  1. 2010/02/19(金) 08:00:00|
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兄弟 1956月5日

4人兄弟の末っ子だった私は、上の兄弟と歳が離れていたので可愛がってもらいましたが、一緒に遊ぶ事や喧嘩は少なかったので、歳の近い兄弟がいる友達などが羨ましかった記憶があります。今思うと、上の兄弟を見て育ったせいか、同じ年頃の友達とは興味の対象がずれていて、変に覚めた大人びた性格の可愛げのない子供だったかもしれません。


兄弟
何撮ってるのと云う仕草の兄と全面的に嬉しそうな妹、見上げるカメラ目線の二人の構図が面白い。


床屋さん
玄関先で床屋さんをしているのは父親でしょうか、顔は見えませんが並んで待っている男の子の仕草が可愛い。


鯉のぼり
玄関先に知らない人が来て、困った様子の二人、兄弟と云うよりは友達かもしれません。
背景の民家と鯉のぼりが、何とも良い感じです。


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  1. 2010/02/21(日) 08:00:00|
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バス停 1956年5月

高山市からに西にある白川街道沿いの新宮のバス停だと思います。現在はどうなっているのでしょうか。
昭和の雰囲気がいっぱいの停留所です。
当時の看板広告や絶妙な配置で佇むバスを待つ人達、抜けの道ばたに置かれてる乳母車などの構図が映画の1シーンの様な写真です。


バス停
新宮のバス停

画面左下にある「ムアーカレー」の看板。調べてみたら、名古屋市にあるムアー食品株式会社の商品だそうです。
オリエンタルカレーやハウスカレーは、当時食べた記憶がありますが、ムアーカレーはまだ食べた事がないかもしれません。
家庭の食卓にカレーライスが出始めたのはこの頃からでしょうか。



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  1. 2010/02/23(火) 08:00:00|
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家路 1956年5月

一日の農作業が終わり、赤ちゃんと多くの荷物を背負って家路につく母親。
当時目の届く範囲で、田畑の畦道などで遊んでいる幼児や寝てる赤ちゃんを見た記憶があります。
家族総出の農作業では、母親が子育てだけに専念することは出来ませんでした。
子供を含めた家族での共同作業で、母親の役割や仕事量は大変だったと思います。


肩車
家路につく親子



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  1. 2010/02/25(木) 08:00:00|
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入院 1956年5月

1歳を過ぎた頃、脊髄に太い注射器を刺して水を抜いた事を後に聞かされたました。
今でも痛くて大泣きした記憶が残っていますが、これは物心がついた頃に聞かされた話がすり込まれて、私の長期的記憶として残っているのかもしれません。ところで幼児の記憶はいつ頃からあるのでしょうか、個人差はあると思いますが、中には生まれた時や胎内記憶があると云う人もいますし、四五歳の頃からだと云う人も、学術的にはどうなんでしょうか。
私の場合このブログの中で紹介した写真から引き出された記憶を、エピソード記憶として紹介していますが、自覚として覚えているのは3歳の始め頃からではないかと思います。

入院
入院中の私と世話をする母
おそらく母も泊まり込んでいたのでしょうか、今では見ない和室の病室です。


看護婦さんと
入院中にお世話になった看護婦さん達と退院記念写真 高山赤十字病院



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人間の記憶の曖昧さをテーマにした2冊の本を紹介します。同じタイトルですがどちらも興味深い内容でお勧めです。

記憶はウソをつく (祥伝社新書 177)記憶はウソをつく (祥伝社新書 177)
(2009/09/29)
榎本 博明

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記憶は嘘をつく記憶は嘘をつく
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  1. 2010/02/27(土) 08:30:13|
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プロフィール

tonto

Author:tonto
父が残した昭和の記憶(写真)を残したくてblogを始めました。
マルセル・プルースト「失われた時を求めて」の中でマドレーヌ菓子から過去の記憶が一気に思い出されるように、1枚の写真から過去の記憶を辿る事ができます。
それは現在を一時忘れることが出来る暖かな一時でもあります。

始めに

本blogには、当時の多くの人々が 登場しますが、時代的背景の記録を 残す事の意義をご理解の上、 お許し願います。

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