記憶の扉

父が残した昭和の記憶

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ミス高山 1956月6月

昭和31年ミス高山と記載のあるネガフィルムから何点か紹介します。
どの女性がミス高山かは分かりませんが、数名の女性が高山市内のいくつかの店舗の前で、ポーズを決めている写真が残されていました。
元祖三人娘などと呼ばれていた 美空ひばりさん、雪村いずみさん、江利チエミさんなどが、ショートヘアーで活発な女性を演じられていたのもこの年代で、石原裕次郎さんもこの年に太陽の季節でデビューをしました。
大柄な花柄のワンピースやヘアースタイルなど、当時のファションが垣間見られます。

ミス高山5
撮影会の風景 二眼レフなど当時のカメラが懐かしい。

ミス高山1
当時の高山市が一望できるテラスで撮影されています。

ミス高山2sミス高山s1
左側 カメラ屋さんの前でポーズを取る女性
右側 アリス食堂店内でポーズを取る女性

ミス高山4
以前紹介した写真家 田中一郎さんと女性 アリス食堂前

アリス食堂の想い出
ハンバーガーやコカコーラなどの存在も知らなかった子供の頃、外食と云えば家の近くにあった「角や」の中華そばか、特別の日に余所行きに着替えてつれていってもらった「アリス食堂」でした。昭和8年創業のアリス食堂で食べた、苦みのあるチョコレートがかかったアイスクリームの味を今でもよく覚えています。
アリス食堂


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  1. 2010/03/01(月) 08:30:00|
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高山モータークラブ 1956年6月

当時の二輪愛好家の方々で作られた、高山モータークラブの存在は知りませんでした。
前年に開催された第1回浅間高原レースなどの影響でしょうか、山岳コースのツーリングに出かけた様子が写真に残されています。
写っている二輪車は、当時大学卒の年収ぐらいの価格で販売された二輪車が多く、一般的には高嶺の花でした。

モータークラブ1
高山駅前に集合した高山モータークラブ


モータークラブ5
定かではありませんが平湯峠近辺でしょうか。


モータークラブ2
当時のライダースファションも注目です。

戦後1940年代頃、国産二輪車はまだまだ海外に比べ性能的に遅れていました。
1950年代初めには180社以上の二輪車メーカーがあったそうですが、その後の高度経済成長に伴い、各社の熾烈な技術競争を経て、現在では数を減らし4メーカーになってしまいましたが、世界的にも誇れる二輪車を生産をするようになりました。
子供の頃、憧れの目で見ていた陸王やメグロなどの大型バイクを、希に見かける事がありますが、今でも熱くなるものがあります。

モータークラブ3
父も自慢のラビットスクーターで記念撮影です。中部山岳国立公園の表示がありますが撮影された場所まではわかりません。


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  1. 2010/03/03(水) 08:31:23|
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後ろ姿 1956年6月

後ろ姿には何か惹かれるものがあります。
見る側の想像が働くからでしょうか、その仕草や佇まいに、その人の人間味までが伺えてしまうことがあります。
人は自分ではみることが出来ない後ろ姿にまで意識が働かず、その人の気持ちが表れてしまうのかもしれません。


後ろ姿1
味わいのある後ろ姿です。


後ろ姿2
農作業に出かける二人、

最近昔の写真を見ているせいか、子供の頃の夢を見ます。度々登場するシーンが夏の昼下がり、真っ直ぐな白い道を向こう側に走り抜けていくシルエットの子供達とそれを追いかける影が印象的な夢です。


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  1. 2010/03/05(金) 08:00:00|
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少年 1956年6月

此方の心まで見透かされる様な、子供の真っ直ぐな視線に対峙すると、何故か居心地の悪さを感じる事があります。
子供の疑いのない素直な視線は、大人になり失ってしまった何かを気付かせるからかもしれません。
写真の少年の頃、今思うと些細なことですが、祖父から入学祝いで贈られたランドセルのほろ苦い想い出があります。
当時ランドセルと云えば、男子は黒、女子は赤が定番で、祖父から贈られた黄色のランドセルはあまりにも目立ち、通学途中によくからかわれて、へこんでいました。
好きだった祖父から頂いたランドセルを嫌だとも言えず、暫く登校していましたが、我慢出来ずに親に伝えたところ
「目立って良いじゃないか」と逆に窘められ、理解されないことに益々へこんだことがありました。


少年1
大きな瞳で真っ直ぐ見つめる視線が印象的な少年です。


少年2
すりきれた野球帽と長めの半ズボン、いかにも昭和の少年らいしい姿です。
少し拗ねた様子が可愛い。


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  1. 2010/03/06(土) 08:00:00|
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おつかい 1956年7月

夕暮れ時には、お使いに出かける子供達をよく見かけました。
味噌、醤油などは量り売りで、豆腐は鍋を持って買いに行かされた覚えががあります。
そう言えば煙草も良く買いに行っていました。
買い物ではありませんが、店に写真を撮りにお客さんが来ると父を探しにいかされ、大抵はパチンコでしたので、
玉が出ているときは、景品のお菓子などを持たされ、楽しく帰ってきた懐かしい想い出があります。
最近は気軽に子供におつかいに出すことも出来なくなり、嫌な世の中になりました。

おつかい
大事そうに一升瓶抱えいる少女 (古川町)
家の中から炊事をしながら「早く帰っておいで」と母親の大きな声が聞こえてきそうです。




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  1. 2010/03/08(月) 08:00:00|
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街道 1956年7月

おそらく飛騨古川町への国道41号線、夏の情景だと思いますが、見事に車一台見あたりません。
砂利道と道行く人々、何とも時代を感じさせる写真です。
父が晩年 後輩の方々に頼まれると道の一文字を好んで書いていた事を思い出しました。


夏
いかにも夏の午後 西日に照らされて長く伸びた影が印象的です。草熱れの熱気や蝉の鳴き声まで聞こえてきそうです。


道
行商人と愛犬  東街道(国道41号線?)


道
孫に付き添われての散策でしょうか、味わいのあるおじいさんです。


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  1. 2010/03/10(水) 08:00:00|
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笑顔 1956年7月

同じはずの時間の流れが、今よりも緩やかに流れていた時代、人々の生活も自然の時の流れに近い生き方をしていました。
どの時代でも人それぞれ苦労はあったと思いますが、写真に焼き付けられた人々が、何故か生き生きと幸せそうに見えてしまいます。
私もあまり先を見据えず現状をありのままに受け入れ、淡々と一日一日楽しむ生き方が出来れば良いのですが、なかなか難しいものです。
当時の長閑な時間の流れが懐かしく感じる歳になってしましました。


おばあさん
夕涼みをしながら世間話 楽しい一時です。


おじさん1
身近な人とのふれあいを通して、お年寄りの方々は皆さん良い表情です。


おじさん2
左側のうちわを持ったおじさんはなかなか良い表情をしています。

正面奥に見えるロバパンの広告のぼりが懐かしくて調べたところ、ロバパンとロバのパン屋は混同しそうですが違うそうです。
元祖ロバに荷車を引かせてパンをおもに北海道で販売していたのはロバパン石上商店で、後に京都の蒸しパン屋さんが、ロバではなく小型馬(ポニー)に馬車を引かせて始めたのがロバのパン屋だそうです。
私の記憶にあるのは、ふさふさの尻尾でしたのでポニーに馬車を引かせていたロバのパン屋の方だと思います。

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  1. 2010/03/12(金) 08:00:00|
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打ち水 1956年7月

夏の朝晩、家の前を掃除をして打ち水をする風習は懐かしい光景になりました。
最近は温暖化対策などで打ち水効果が見直され、イベント化され各地で実行されますが、本来の意味合いは、家の前を掃き清め、町内や来客への心遣いの為に行われていました。
我が家でも毎日朝夕には、父が店の前を掃除をし水まきをしていた記憶があります。
そういえば暑い日には、散水車の後について市内を走り回っていた事も思い出しました。


打ち水
水まきをする老人  高山市安川通り

はじらい
恥じらいを見せながら水まきをする女性



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  1. 2010/03/14(日) 08:00:00|
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古川町の子供達 1956年7月

何もなくても創造力や空想の世界で遊べた時代、友達がいれば、ごっこ遊びなどで何時間でも遊んでいました。
今思うと あんなにも夢中になって遊そべた子供の頃が、幸せな時期として想い出に残っているのは、いろんな意味で恵まれていたと感謝しなければいけませんね。

古川町の子供2
川遊びの子供達 (飛騨古川 瀬戸川)
後で叱られるのを知りながら、川遊びや泥んこ遊びなどの服が汚れる遊びは、格別楽しかった想い出があります。


古川町の子供3
子供達だけの、ごっこ遊び世界に、カメラを向けられて困惑気味の少女


古川町の子供1
恥ずかしそうに顔を覗かせる男の子
友達が遊びに来るのを待っているのでしょうか。


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  1. 2010/03/16(火) 08:00:00|
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夏の古川町 1956年7月

静かな佇まいを見せる当時の古川町(現在飛騨市古川)に、父は度々撮影に訪れていたようです。
当時は生活用水に使われいた瀬戸川も現在では、鯉が放流され観光客の目を楽しませています。

古川町の夕暮れ時
瀬戸川沿いの情景 
洋装の女性の後ろ姿や籐製の乳母車をひく兄弟、半裸の親父さん、何か物語が出来そうな写真です。  


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  1. 2010/03/18(木) 08:00:00|
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路地裏1956年8月

子供の頃からこんな狭い路地裏が好きで入り込んで遊んでいた記憶があります。路地裏の魅力とは何でしょうか。
生活に密着した匂い、秘密めいた迷路に迷い込んだ緊張感、路地を抜けた時の開放感などがそうさせるのか、今でも路地裏を見つけると、つい彷徨いたくなってしまいます。


路地


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  1. 2010/03/20(土) 08:00:00|
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母の背中1956年8月

当時 母親はおんぶ紐一本で赤ちゃんを器用に背負い 仕事や家事と育児を両立させて普通に生活していました。
母親の背中越しに、家事や仕事をする様子を見ながら、子供は母のぬくもりと共に色々と学ぶことがあったのではないかと思います。


母2
電気屋さんの店番でしょうか、奥に懐かしい家電製品が見えています。


母3
おんぶがまだなれない様子のまだ若いお母さん、少しぎこちなげな感じです。
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  1. 2010/03/22(月) 08:00:00|
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集合写真 1956年8月

集合写真を撮る作業は、一枚の写真に記念すべき人達の瞬間を焼き付けます。
初めてお会いする人達の信頼を短時間に得て、その皆さんをいかにレンズに惹きつけ、一瞬の表情を捉て写真に収める一発勝負で決まる仕事です。
昨日今日で出来る事ではなくて、長年の経験と勘で磨いてきた職人芸とも云える技を発揮しなければ出来ません。
父は生涯営業写真家として誇りを持って生きていた事を、今更ながら実感する写真です。

集合写真
お爺さんのお祝いの記念写真
お祝いに集まった皆さんの人柄や個性まで伺えます。
一瞬の表情を捉えた、父の本領発揮の実に良い集合写真です。



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  1. 2010/03/24(水) 08:00:00|
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坂道のお爺さん 1956年8月

「お年寄りは大切にしょう」の標語が素直に聞けた時代。
町内にはなになに先生と云われて慕われ、尊敬の目で見られていたお年寄りがいました。
子供達には何をしている人かも分からなくても、町で出会うと立ち止まって挨拶をしていた事を思い出します。
当時は年配者の生活の知識や経験が生かせる社会構造で、身近なお年寄りも権威を持って生活する事が出来ました。
そんな光景も急激な時代の変化と共に大きく価値観も変わり、今ではあまり見かけなくなりました。


紳士
ストロー帽にステッキ 足元は下駄履きと何とも愛嬌のあるお爺さんです。



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  1. 2010/03/26(金) 08:00:00|
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林間学校 1956年8月

現在は統合され廃校になった高山市立第三中学校の生徒さん達です。
卒業アルバムに掲載する為,同行した際 撮られた写真でしょうか、今に比べると当時の中学生は大人ぽく見えますね。
伸び伸びとした姿や笑顔を見ていると此方まで癒されます。


林間学校2
林間学校  高山市立第三中学校


林間学校1
上手く炊けた飯盒炊爨のご飯は旨い。


林間学校3
この年頃の友情は何故か、甘酸っぱい想い出として残っています。


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  1. 2010/03/28(日) 08:00:00|
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家族旅行 1956年8月

私自身この時の記憶が曖昧ですが、我が家のこの時期が、希望と溌溂とした空気感に満ちた、よき時代だったのではないかと思い、郷愁を感じ掲載させて頂きました。
家族揃っての旅行は、私が5歳の頃に、もう一度海に出かけた写真が残されていますが、その後はなかったのでないかと記憶します。
山に囲まれた高山では、海を見たことがない友達に羨ましがられた想い出があります。


海水浴1
夏休みの家族旅行、皆楽しそうである。 (高山本線車中) 

海水浴3
兄弟記念写真(愛知県知多郡南知多町 内海海岸)
海に浸かりながら、カメラを構え支持を出している父の姿を想像してしまいます。 続きを読む

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  1. 2010/03/30(火) 08:00:00|
  2. 1956年
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父が残した昭和の記憶(写真)を残したくてblogを始めました。
マルセル・プルースト「失われた時を求めて」の中でマドレーヌ菓子から過去の記憶が一気に思い出されるように、1枚の写真から過去の記憶を辿る事ができます。
それは現在を一時忘れることが出来る暖かな一時でもあります。

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