記憶の扉

父が残した昭和の記憶

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養蚕 1957年6月

戦前の蚕糸業は、わが国の代表的な輸出産業で世界一位の生産量を誇り日本の経済発展を支えました。
戦後の復興期を経て、昭和30年代再び養蚕が盛んになり、当時高校の授業実習での養蚕の様子が記録されていました。
その後養蚕業は輸入品や化学繊維に押され急速に衰退していきましたので、この写真の中で懸命に作業をしている青年達の
その後を考えると寂しい思いに駆られます。


養蚕1
カイコは家畜化された昆虫で、野生では生育することができなく、人による管理なしでは生育することができません。

養蚕2



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テーマ:銀塩写真 - ジャンル:写真

  1. 2010/08/22(日) 07:32:57|
  2. 1957年
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

Re:nicoさまへ

今晩は
絹は明治後半から大正、昭和と日本の主要な輸出品でした。
その絹を作ってくれる蚕は、おかいこ様と呼ばれる程、大切にされてきた事が解ります。
蚕の数え方が一頭、二頭と数えるのは、家畜として扱われている為だと聞いた事があります。
古事記にも出てくる程、長い歴史の中で蚕の幼虫は腹脚が退化して、自ら枝に付着できず、
人が枠に入れてあげないと上手く繭を作れない程、家畜化し、仮に成虫しても飛翔出来ず、
逃げないで飛べない翔で人に近付いてくるそうです。
そんな話を聞くと悲しくなりますが、あの繭から紡がれる絹糸の美しさは何物にも代えられない
大切な物だったのでしょうね・・・
  1. 2010/08/22(日) 21:45:45 |
  2. URL |
  3. tonto #-
  4. [ 編集 ]

おかいこさん

たくさんの蚕が桑の葉を食む音が聞こえてきそうです。
私も小学生のころ蚕を飼っていました。
確か、虫が好きな兄が始めたことだったと記憶しています。
最初は黒い糸屑のような蚕が、脱皮を繰り返して白く成長してゆくんですよね^^
やさしく穏やかな様子で 首をふりふり桑の葉を探すのが愛らしかったのを憶えています。
蚕のため毎朝早くに桑の葉を摘みに兄とでかけたものです。
蚕特有の匂いを思い出しました。

この写真は2枚とも、もうじきさなぎになりそうな個体を選別しているところでしょうか。
今では「おかいこさん」なんて言っても通用しないかもしれませんね。
  1. 2010/08/22(日) 16:23:01 |
  2. URL |
  3. nico #-
  4. [ 編集 ]

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Author:tonto
父が残した昭和の記憶(写真)を残したくてblogを始めました。
マルセル・プルースト「失われた時を求めて」の中でマドレーヌ菓子から過去の記憶が一気に思い出されるように、1枚の写真から過去の記憶を辿る事ができます。
それは現在を一時忘れることが出来る暖かな一時でもあります。

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